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zoom RSS 評価のこと−2 (でも、絶対評価は絶対?)

<<   作成日時 : 2007/08/26 19:41   >>

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前回の続きです。
「絶対評価は児童理解の手だての一つであり、評価項目を児童や保護者と共有化することには意味がある」という趣旨でした。
今回は、絶対評価を使うときの留意点を書きたいと思います。


1.客観性の限界

「同じ子でも転校すると全く違う評価になる」

現実だと思います。
「そもそもクラスや教師の合う合わんでその子の行動が変わってくるだろ」(先生がキライで発表したがらないとかその逆とか)という話は一旦置きます^^;

実際、まったく同じ行動をしても評価者によって評価が違います。
なぜか。
ルーブリックが統一されていないんですよね。
一応、「教師集団で多面的にとらえましょう」「同一市町村内では判断基準をそろえましょう」とは言われていますが、現状は困難です。

我々には統一された学習指導要領もあるし、評価規準の指標もありますが、ルーブリックに落とし込むのは個人の解釈が入ってきます。
例えば、「身近に経験した事から話題を選んで話そうとしている」という規準をどうやって評価しましょう。
回数? 時間? 内容? 話し方? 話しているときの表情? 自発性?

どれを選んでも「ほぼ正しく」評価されるとは思います。が、絶対評価と言えど客観性には限界があることは知っておかねばならないですね。


2.ルーブリックは得点ゲーム?

ルーブリックのABC評価を分ける基準は多くが具体的な数字です。
確かに分かりやすいし、個人的な感情に左右されずに評価できるような気がしますね。
うちの市町村で作成した算数科のルーブリック例(小2図形:三角形や四角形など)では、「関心意欲態度」の評価基準はこうでした。

「挙手・発言回数」
「身の周りで見つけた三角形・四角形の数」
「(自分から)作成した図形の数」

子どもは評価されることに応えようとします。
これでは子どもは「手を挙げて何か言えばいいんだ」「とにかく数をこなせ」とならないか。
逆に言えば、「数をこなせない」子の評価はこなす子よりも低くなるわけです。心の中でどれだけやる気があっても、です。

この時期の図形領域は「お絵かき」「パズル遊び」のようなものですが、一つの図形をじっくり楽しみながら完成させる、ワクワクしながらパズルを動かす、ああでもないこうでもないとノートに線を走らせる…私はそういうのを「関心意欲態度」と呼びたいのです。

要は「楽しんでいるかどうか」。
楽しみと数は関連することもあるでしょうが、数だけで判断できるとは思いません。
糸山先生風に言えば、「できる(上手な・得意な)ことと好きなこととは違う」のです。


3.「できた=分かった」?

同様にルーブリック例では「知識理解」の評価方法はこれでした。

「問題の正答数」

どんぐり倶楽部の方にはよくお分かりだと思いますが、子どもたちは分かってないのに正解してしまうことがあります。
「1000-1はいくつ?」は簡単にできるけれど、「1000より1小さい数はいくつ?」と聞かれると分からない子、等。
「何聞かれてるのか分からんかったけど、適当に数字をいじくったらできた」ということはありうると思います。
(私見ですが、「知識理解」と↓の「数学的な考え方」は不可分なものだと思っています)


4.「分かった=説明できる」?

同じく、「数学的な考え方」はこれです。

「作成手順や図形の特徴を言葉で書く(理由も書けたらA、など)」

教育大附属の小学校などに行くと、1年生あたりからこういう活動に力入れてますよね(くりあがりやくりさがりの手順をノートに言葉で書かせるなど)。私も以前から「本当に分かったのなら説明できるはずだ」「算数語を使って説明することが大事だ」と思っていました。
そこである時、どんぐり掲示板で糸山先生にこのように質問しました。

>子どもは「なんで足したの?」「なんで引いたの?」と問われた場合、答えられなくてもよいとお考えですか? 私はやはり、説明できてこそ真の意味理解と思えてしまうのですが…

お答えはこちらでした。

>この場合の説明とは相手の求めている表現形式で相手を納得させることですね。幼児・児童期には全く不要です。自分で納得できていればいいからです。

糸山先生のおっしゃるように「全く不要」なのか、それとも「説明する力をつけることはそれはそれで必要」なのか、まだ判断がつきません。
味わいのない表現力は無意味ではあるのですが、表現によって理解が深まることもあるのではないか…などと。

ただし、「分かってるけど言葉で書くのは苦手」という子もいることは頭に入れておこうと思います。


5.「評価」だけで「評価」しないで

ルーブリックは評価を助けてくれると思いますし、指導に活かせる部分も多いと思います。
しかし、ルーブリックだけで子どもの学力をすべて分かった気になってはいけないかな、とも思います。
つまるところ、これもまた一つの見方でしかありません。

再び糸山先生の言葉を借ります。

>認めるとは「見・止める」。否定の言葉でも「良く見た」後であれば認めていることになります。否定も含めた子供全体の肯定です。

>見てあげることは納得させることになります。満足させることにもなります。見てもらっているだけで満足するのです。見ていなくて結果だけ見て「凄い」といってもダメなのです。


ノートやワークシート、ルーブリックも大事だけれど、リアルタイムで子どもの目を見ることも忘れないようにしたいです。
子どもの成長にとって重要なことです。

>評価になれてしまうと、評価する人がいなくなったら何も出来ないし、する気にもならなくなります。

>管理下で成績がいいということは何の意味もありません。管理下にないときにどう動くかが大事なのです。教育とは一人になったときに自分が動く価値基準を明確にもてる力を養うことです。


最終的には「与えられた評価基準」でなく、自らの基準で自分を評価し、課題を課す自律的な人間にしていかねばならないのですね。
何でもかんでも「これが大事(できなければ問題)」と枠にはめ込みすぎては別の問題も出てきそうですね。

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