どんぐりころころ小学校

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zoom RSS 宿題、見せてよ

<<   作成日時 : 2007/10/08 16:52   >>

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先週、中学校の人権教育の参観に行ってきました。
考えさせられることも多く、勉強になりました。

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という漫画を見て、「どうして誠は困っているのでしょう」「どうすればよいでしょう」を考える授業でした。「誠は」宿題を見せるべきか否か、という発問では「断るべき」が多数。
「じゃあ「あなたは」見せない?」という発問には「見せる」が多数^^;

正直なものです。
子ども達が「見せたらその子の力にならない」という建前(理想)と「でも友達とトラブるのは怖いし」という本音(現実)の差に頭を悩ませていました。

(※「ちびまる子ちゃん」でこんな話、あったなぁ…
意見としては正しいと思われるマルオ君がひどく滑稽に描かれてたっけ)

いくつかのポイントに絞って思ったことを書いてみます。


(1) それってどんな宿題なの?

どんぐりではお粗末な宿題はさせないことが必要とされています。
また、我々教職員のレポートなんかでは、担当者に見本を作ってもらってから、「ああいうのを作ればいいのね」と自分なりに考えて作ることも多いですね。

人権教育とは無関係のポイントですが、まずはじめに、この宿題に問題がなかったのかという点を考えてみてもいいかもしれません。
量が多いとか難しすぎるのが原因だってこともありうるわけです。


(2) まずは”共感”から

この単元、「友達だからって」という単元名ですが、「友達だからこそ見せられない。ずるいことはせずに自分の力でやれよ。そうでないと君の力にならないよ」と正論を言えばそれでよいものでしょうか。
それで解決するのはドラマの話だと思います(BGMと涙を流せばなんとなく感動のシーンになりそうですね)。

「何をいいカッコしてんだ。ケチだなこいつ。友達だと思っていたけど、もういいや」という展開の方がむしろ現実的でしょう。これで険悪になって教師に相談が行きそうですね。
「お前は間違っている」と言われて嬉しい子はいません。
さりげない言い方をすることが大切だと思うのですが、どうでしょうか。


「何かあったの?」(具合悪かった? 家族に何かあった?)
「難しかった(面倒だった)よね。あの宿題」
「分からないところは教えるから、一緒にやってみようよ」
「今日の宿題もまた一緒にやらない?」

なんてね。


(3) 勧善懲悪で万事解決?

このケースで、仮に誠が教師のところに相談しに来たとします。
「宿題は自分でやらないと力にならんだろ。見せなくていい。あいつには先生から注意しとく」
なんて言ってしまいそうですね。

いじめでもそうなのですが、どうするのが正しいのかなんてだいたいみんな分かっているのです。
通りいっぺんの返事をして、「先生だってそう言ってくれた。よし自信もって断るぞ」なんてこと、現実にはありません。

じゃあ「友達なくしたくないなら、別に見せても構わんよ」と言っていいのか。
マスコミや保護者から「呆れた指導! トンデモ教師の実態! 学力低下は教師が悪い!」などと言ってたたかれそうですね。


「友達だからしっかりして欲しいけど、トラブりたくないから悩んでるんだな」
「うん。先生もこの宿題が大事だって説明、ちゃんとしてなかったかもな」
「で、この問題は難しいかったと思うか。量が多かったと思うか」
「宿題ナシが一番だと思うのは当然だけど、そういうのは抜きにしてな」
「ふうむ。そうかそうか」
「ところで、あの子は部活、忙しいの? それとか塾の宿題がいっぱいあんの?」
「そうか。次の大会に向けて頑張ってるのか…」
「なるほどな。でもまあ、一日中練習してるわけじゃないだろ」
「ああ、そうか。あの子はあのとき休んでたな。そんで分からんのもあるわけか…」
「それは先生もまた見てやらなきゃいけないな。君も教えてやってくれよ」
「でもやっぱり、ゲームの前にやってもらわんとな」
「で、先生はこういう風に言おうと思うけど、君はどう思う?」


みたいなややこしく、面倒で、果てしないやり取りが続くわけです。
この話はやや単純ですが、いじめの問題など、相手がいる複雑なケースであれば、二者択一の対応などはできなくなります。
勧善懲悪のマスコミにバッサリ斬られる覚悟をしながら、あの手この手と悩んだ上で、上司や保護者に説明責任を果たしながら、選択肢を選んでいくしかないのが現状ではないでしょうか。

「正しい行動をできるようにせよ」というのがマスコミの要求。
「なぜ正しい行動ができないのか」を考えるのが我々の仕事だと割り切ってやっております。


(4)架空の話ということ

ちょっと観点がずれますが…
この授業のように、道徳や人権の授業って、「君だったらどう思う?」のような発問をしてしまいがちですが、教委の先生によるとそれは不要だとのこと。
なんでも「誠の話」と思いながらも、いつの間にか児童は「自分のときはこうだった…」と自分の経験を話し始めるようになるのだとか。
それにのっかった児童もまた、自分の体験や思いに照らし合わせて「誠の話」のつもりが「自分の話」をするようになるとのこと。
勉強になりました。


(5) 学びの一体化について

もちろん教科指導でもそうなのですが、道徳でも「こんな単元でこんな反応だったからこんな指導をした(ら、こんな反応だった)」ようなことって次々申し送りせねばならないですね。
「前にもそれ、やったよ」とならないようにね。

中学校教師の皆様、ぜひぜひ仲良くしましょう。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして、ひょこたんと申します。
来週子供の家庭訪問があるので、どんぐりの資料を探していたところ
こちらのブログにたどり着きました。
とても分かりやすく、子供のこともとてもよく見ていらっしゃるし、
素直な視点で書かれていてとても良いブログだと思いました。

参考にさせていただきます、ありがとうございました。
ひょこたん
2012/04/17 00:07
どんぐりころころ小学校のことについて、教えていただきたいことがございます。
どちらに連絡させていただけばよろしいでしょうか?
kinoko
2017/01/10 20:47

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