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みんなの「余談」ブログ


コトノハ通信を読んで

2008/09/17 20:22
運動会で忙しい季節です。

コトノハ通信が届きました。
ちゃことらさん、springさん、その他の皆様、本当にお疲れ様でした。

ブログの更新すらサボリ気味の私には「すごいなぁ」の一言です。
特にすばらしいのがお母さんたちの実感や体験が下地になっているところ。

そりゃあ大手の塾や通信教育の会社は見目麗しいチラシを出します。
でもどんな美辞麗句よりも、色鮮やかなチラシよりも、お母さんたちの「どんぐり方式でよかった!」という実感は何者にも変えがたいすばらしい宝物なんだと思います。
素朴な実感こそが最大の武器です。

糸山先生を出発点としたどんぐり倶楽部。
コトノハ通信は、今後家庭学習という世界で大きな潮流を作ることでしょう。



私はどうしようかな。
願わくば、学校現場でも「どんぐり方式」の有効性を知って欲しい。
今しているのはデータの収集。

ズバリ言うと、学校現場におけるどんぐり方式の成果と課題。そして子どもの変容について。
それを他の教職員が理解できる形で示すことに全力を尽くしているところです。
チョコチョコと発表会に出させてもらって、他流試合をしています。



しかし、もっと根源的なことを言うと…
「子どものペースを大切にする」どんぐりの思想を分かって欲しい。


「あぁ、ここで叱ってもこの子はスッキリ切り替えができないな」
「今無理やり進めても腑に落ちるまでは効果がないな」
「この子は今までこうやって叱られ続けてきたんだな。それで疲れているんだな」


スタートはそういう話。
今6年生に分数のかけ算わり算を教えているんですが、「式の途中で約分しましょう」なんてわざわざ教えなくてもよいのかもしれない。
だって子ども達は式の途中で約分することに意味を見出していないんだもの。
最後に約分する、という我流のやり方をとことんやった後でようやく、「式の途中で約分」の合理性に気づくんじゃないかな。

2年生で言えば、筆算の「一の位から計算する」。
これだってくり上がりで「あれ? なんかうまくいかない」と実感してからでいいのではないかな。
アオムシのうちは慌てないでノソノソと動き回っていなさい、と。

アオムシでも幼虫でも関係なく、羽ばたきの回数を重視するのが100マス計算。
教師と同じリズムとテンポで羽ばたきができるよう、とことん真似をさせるのがTOSS。
いずれ飛ぶことが分かっていながら、石ころだらけの荒地を低く広く歩き回らせるのがどんぐり倶楽部。

多分この先もTOSSや100マスのように爆発的なヒットはしないと思います。
それでも、小さな実践を積み重ねることで、この国の教育に染み込んでいくと思うのです。

家庭学習や学校現場で実践を繰り返す一方、糸山先生は掲示板を閉じられました。
個人的にはちょっと不安なんです。
糸山先生の言葉が独り歩きするんじゃないかと。

ともあれそれは余計なお世話。
きっと掲示板の役割はコトノハ通信や各HPに任されていくのでしょう。私もまだまだ修行中です。
もっと実践を積んで、もっと具体的で詳細な、私なりのどんぐり方式の成果と課題をご報告していきたいと思っています。

ゆっくり・ジックリ・丁寧に、がんばっていきます。
みなさんもどうですか。
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年末年始の停滞

2008/01/27 20:48
久しぶりの更新になりました。
書きたいことは沢山あったのですが、なかなか形にできませんでした。


昨年11月、学校で公開授業があり、そのストレスが原因で一年生の先生が体を壊されました。
その結果、少人数で入っていただいていた先生が臨時の担任になり、私は一人でクラスを切り盛りしなくてはならなくなりました。

正直必死でした。
しかしミスとはそういうときに起こしてしまうもので、保護者の方からキツい苦情を頂戴しました。

12月になって鼻風邪になり、フラフラになりながら成績をつけ、懇談会を行いました。
休みになれば治るだろうと思いきや、10時間寝ても実家に帰って栄養をつけても治りません。
耳鼻科に行くと蓄膿症だと診断されました。

この間私は、軽い鬱状態になっていたのかもしれません。
自分のやる気、集中力、思考力が低下しているのが分かりました。
とにかく怖くて先のことが考えられない。
学校に来ても仕事に身が入らない。


「こんなことで三学期やっていけるのか」
「きちんと子どもと話ができるのか」
「そもそも朝起きれるのか」

不登校児の気持ちがよく分かりました。


そうこうしているうちに3学期になり、子どもが学校に来るようになりました。
すると不思議なことに、子どもの相手をしているうちに緊張感や張り合いが生まれ、意外とサクサクと仕事ができるようになってきました。

多分最初はカラ元気だったのですが、演じているうちに本当に元気になったような。
なるほど、教師は役者なわけです。
「私は子どもによって生かされている」
そんなことを考えました。

しかし1月中旬から、算数科の研修、情報担当者会議、体育担当者研修、書写展の搬入・搬出などなど、立て続けに出張が入ってきました。
私は家で仕事ができないタイプなので非常に困りました(印刷や画用紙を使った教材作りなど)。
さらに友人の結婚式、PTA行事、住んでいるところの自治会の話し合いなど、休日もつぶれて、再び疲れが溜まってきました。


するとまた鬱状態がやってきて仕事ができなくなってきます。
その状態から脱却したのは”夜遅くまで仕事をすること”でした。
普通は休養なのでしょうが、私の場合は休んでいるよりも、仕事をしている方が精神的に楽でした。

特に他の方がお帰りになると、フッと肩の力が抜けて自分のペースで仕事ができるようになるのです。
家ではできないのに。
不思議なものです。

将来に対する不安は消しようがありません。
明日のために今できることをする。
それだけでいいし、それしかできません。


湿っぽい話は終わりにして、これからはまた実践を紹介していこうと思います。
本年もよろしくお願いします。
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地区運動会

2007/10/15 22:47
校務分掌の体育担当だと地区の運動会にもかかわったりします。
いつもは顔を合わせないお父さん方とも話せたりして結構新鮮。

学校による教育活動以外で子ども達が頑張っている姿を見るのもいいものです。
最初は教室で○付けをしていたのですが、気がついたら応援をしていました。

すると。
あるお父さんから「子ども達が頑張ってるんだから先生も出なきゃ」と言われて、急遽マラソンにエントリー(マラソンだけは自由参加)。
一番はやはり、「先生だって頑張ってるんだぞ」という姿を子どもたちに見せたかったから。

そう言えば、職業柄毎日体を動かしているけれども、自分の体は鈍っているのだろうか…
重い物を運んだり、立ちっぱなしで仕事をすることはあるけれども、持久力という点ではどうなのか。

若いだの、新採二年目だのと思われていてももはや27。
果たして、育ち盛りの中学生や成人男性相手に勝てるのか?
そう言えばまだコースすらろくに知らないぞ…




結果は…




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奇跡でした。
メチャクチャ苦しかったですが、最高の成績をGETしました。
後ろを振り返るのが怖いったらないです。
子ども達は自分たちのマラソンに出かけており、全然見てなかったと後から気づくのですが…^^;

というか、来年はどうなるんだろう…?
やっぱり出なきゃダメ?^^;
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珍しく図工の話

2007/10/15 22:26
「まどをあけると」というカッターナイフを使った単元。
この単元は難しいです。

一つに、カッターを使いこなす難しさ。
二つに、立体的な作品を頭の中を考えて作る難しさ。

具体的に言うと、こういう回転式の作品か(森や海でもいいし建物でもいい)

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こういうジオラマのような作品を作るわけです。

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いずれにせよ、いきなり厚手の画用紙を切って失敗したら大変!
そこで切りやすく立体のイメージがしやすい型紙を用意しました。

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組み立てるとこんな感じ。

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四角い窓と絵本に出てきそうなドア。両開きも。

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ぎざぎざだったり雲だったり(雲、見にくいな…)

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上から見るとこんな感じ。

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ピラピラのB4用紙一枚でも、これくらいのことはできます。


さて、いよいよ本番に入るわけですが、やはり発想を閃かせるのが難しい。
こういうのは実際に見本に触ってみて、色んな角度から見ることが大切。

こういう森は

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外がこうなって

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中がこうなっているよ。

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こういう作品は

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上から見るとこうなってたり

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後ろからみるとこうなってたりするよ。

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うーん、難しい。図工ってなかなかに高度だ!
でも、こういう場面で頭使った子が算数の図形領域に強くなると思うんですよね。

がんばれ、子ども達!
そのために先生の作品が壊されても本望だ!^^;
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宿題、見せてよ

2007/10/08 16:52
先週、中学校の人権教育の参観に行ってきました。
考えさせられることも多く、勉強になりました。

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という漫画を見て、「どうして誠は困っているのでしょう」「どうすればよいでしょう」を考える授業でした。「誠は」宿題を見せるべきか否か、という発問では「断るべき」が多数。
「じゃあ「あなたは」見せない?」という発問には「見せる」が多数^^;

正直なものです。
子ども達が「見せたらその子の力にならない」という建前(理想)と「でも友達とトラブるのは怖いし」という本音(現実)の差に頭を悩ませていました。

(※「ちびまる子ちゃん」でこんな話、あったなぁ…
意見としては正しいと思われるマルオ君がひどく滑稽に描かれてたっけ)

いくつかのポイントに絞って思ったことを書いてみます。


(1) それってどんな宿題なの?

どんぐりではお粗末な宿題はさせないことが必要とされています。
また、我々教職員のレポートなんかでは、担当者に見本を作ってもらってから、「ああいうのを作ればいいのね」と自分なりに考えて作ることも多いですね。

人権教育とは無関係のポイントですが、まずはじめに、この宿題に問題がなかったのかという点を考えてみてもいいかもしれません。
量が多いとか難しすぎるのが原因だってこともありうるわけです。


(2) まずは”共感”から

この単元、「友達だからって」という単元名ですが、「友達だからこそ見せられない。ずるいことはせずに自分の力でやれよ。そうでないと君の力にならないよ」と正論を言えばそれでよいものでしょうか。
それで解決するのはドラマの話だと思います(BGMと涙を流せばなんとなく感動のシーンになりそうですね)。

「何をいいカッコしてんだ。ケチだなこいつ。友達だと思っていたけど、もういいや」という展開の方がむしろ現実的でしょう。これで険悪になって教師に相談が行きそうですね。
「お前は間違っている」と言われて嬉しい子はいません。
さりげない言い方をすることが大切だと思うのですが、どうでしょうか。


「何かあったの?」(具合悪かった? 家族に何かあった?)
「難しかった(面倒だった)よね。あの宿題」
「分からないところは教えるから、一緒にやってみようよ」
「今日の宿題もまた一緒にやらない?」

なんてね。


(3) 勧善懲悪で万事解決?

このケースで、仮に誠が教師のところに相談しに来たとします。
「宿題は自分でやらないと力にならんだろ。見せなくていい。あいつには先生から注意しとく」
なんて言ってしまいそうですね。

いじめでもそうなのですが、どうするのが正しいのかなんてだいたいみんな分かっているのです。
通りいっぺんの返事をして、「先生だってそう言ってくれた。よし自信もって断るぞ」なんてこと、現実にはありません。

じゃあ「友達なくしたくないなら、別に見せても構わんよ」と言っていいのか。
マスコミや保護者から「呆れた指導! トンデモ教師の実態! 学力低下は教師が悪い!」などと言ってたたかれそうですね。


「友達だからしっかりして欲しいけど、トラブりたくないから悩んでるんだな」
「うん。先生もこの宿題が大事だって説明、ちゃんとしてなかったかもな」
「で、この問題は難しいかったと思うか。量が多かったと思うか」
「宿題ナシが一番だと思うのは当然だけど、そういうのは抜きにしてな」
「ふうむ。そうかそうか」
「ところで、あの子は部活、忙しいの? それとか塾の宿題がいっぱいあんの?」
「そうか。次の大会に向けて頑張ってるのか…」
「なるほどな。でもまあ、一日中練習してるわけじゃないだろ」
「ああ、そうか。あの子はあのとき休んでたな。そんで分からんのもあるわけか…」
「それは先生もまた見てやらなきゃいけないな。君も教えてやってくれよ」
「でもやっぱり、ゲームの前にやってもらわんとな」
「で、先生はこういう風に言おうと思うけど、君はどう思う?」


みたいなややこしく、面倒で、果てしないやり取りが続くわけです。
この話はやや単純ですが、いじめの問題など、相手がいる複雑なケースであれば、二者択一の対応などはできなくなります。
勧善懲悪のマスコミにバッサリ斬られる覚悟をしながら、あの手この手と悩んだ上で、上司や保護者に説明責任を果たしながら、選択肢を選んでいくしかないのが現状ではないでしょうか。

「正しい行動をできるようにせよ」というのがマスコミの要求。
「なぜ正しい行動ができないのか」を考えるのが我々の仕事だと割り切ってやっております。


(4)架空の話ということ

ちょっと観点がずれますが…
この授業のように、道徳や人権の授業って、「君だったらどう思う?」のような発問をしてしまいがちですが、教委の先生によるとそれは不要だとのこと。
なんでも「誠の話」と思いながらも、いつの間にか児童は「自分のときはこうだった…」と自分の経験を話し始めるようになるのだとか。
それにのっかった児童もまた、自分の体験や思いに照らし合わせて「誠の話」のつもりが「自分の話」をするようになるとのこと。
勉強になりました。


(5) 学びの一体化について

もちろん教科指導でもそうなのですが、道徳でも「こんな単元でこんな反応だったからこんな指導をした(ら、こんな反応だった)」ようなことって次々申し送りせねばならないですね。
「前にもそれ、やったよ」とならないようにね。

中学校教師の皆様、ぜひぜひ仲良くしましょう。
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運動会終了

2007/09/23 21:30
ここではあまり触れなかったことですが、私の校務分掌は情報と体育です。

情報はホームページ運営、情報管理(Winny使うな!とか必要な情報の共有化など)、ICT教育(IT機器による学力保障)、リテラシーを含むネットモラル教育など。
体育は遠足・運動会・マラソン大会などの体育的行事の提案、計画、進行など。

二つとも私一人の担当ではなく、どちらも先輩の相手がいたもので「要は助手だな。今年は楽かも」と思っていました。
結論から言うと、はなはだしい勘違いでした。

情報の先生はいつまた教育委員会に戻されるか分からない先生。
体育の先生はこの学校でもう6年目(だったかな)で、来年抜けても不思議のない先生。
平たく言うと、「来年一人でできるようになっておけよ」という課題が課せられていました。


で、不運なことに今年の二学期にはうちの学校で大がかりな公開授業があり、そのためのホームページ製作と、この運動会の仕事が九月初旬に容赦なく激突。

ホームページは基本、クラスや行事の記事を継続的に書き続けていればなんとかなったのですが(このブログと大差ないですね)、テーマが「研修」ともなると校内の研修担当や管理職と内容や表現のすり合わせが必要で、何度も打ち合わせを重ねました。

他の仕事でもそうですが、「もとになるもの」があれば自分なりにこねくり回して原案を作れます。

・校長が教委や文科省に提出した文書
・本校の昨年度までの研修のまとめ
・他校の公開授業ホームページ
・地域のことを記した文献
・学校要覧で使ったキレイな学校の写真^^
・その他、参考になりそうなホームページ

などなどを盛り込んで無理やり原案を作成し、提出。
「具体的な数字がない」「写真がショボい」「文章が意味不明」などのように、鬼のように修正され、全ボツくらった箇所もありましたが、アドバイスを素直に聴いて作り直しをします。
公開後もチョコチョコと修正点を指摘され、一段落つくまで結構時間がかかりました。
(本当はうちの学校のHPへのリンクを載せたいところです^^;)



一方、運動会。
やること一覧を先輩から預かり、自分なりに計画を立てます。

・備品・消耗品の確認・補充
・放送機器の点検
・演技明細票、放送用原稿の依頼
・運動場の使用を含めた全体計画立案
・プログラムと関連文書の作成
・毎朝のライン引き
・PTA会議への出席と説明

などなどやることは盛りだくさんなのですが、一番精神的にくるのは全校練習の計画・進行でした。
全校児童が200人そこそこの小規模校とは言え、指示を出すのは緊張します。

また、はっきり言って入退場や開会式の練習なんて、子も教師もそんなに楽しくはない。
でも、それが揃ってできているかというのが、学校側の学習規律への熱意と評価されるわけです。
当日までには仕上げなければしまりのない運動会になってしまう。
ベテランの先生なら慣れでスッスッスッとできるところが私の場合、打ち合わせと説明の連続でなんとか形になる、という状態でした。

「明日は応援の練習できますか。時間どれくらいとりましょう」
「準備運動のお手本、お願いしていいですか」
「校歌のテープはどこにありますか」
「開式と校長先生の言葉、お願いできますか」
「雨天時は、練習は体育館で一時間のみです。お願いします」
「児童会の子、太鼓を打つタイミング分かってますかね」
「式の司会の原稿です。どうぞ」
「綱引きの後の隊形からスタートします」
「応援、入場、式、石広いの順でいいですか」

当日朝までに文書を配布して、それでも全体練習の中で「これ先して」「ここ、とばそう」などの追加指示が飛んでくるので、臨機応変に対応せねばなりませんでした。

得点のこと、トイレのこと、熱中症のこと、昼食時の注意、雨が降ってきたら、当日は運動場使用禁止…
こういう注意事項の説明ひとつとっても、「どの隊形のときにどういうタイミングで言うかな」と考えねばならないんですね。

運動会前の一週間は睡眠時間があまりとれず、冷や汗ものでした。
でも逆に、当日は逆にあまりやることがなく、召集手伝ったりライン引いたり、出発係のフライング判定をしたり、組体操の補助についたり、来場者への連絡の放送を入れたり。体調不良の子の対応をしたり。
そうそう、CDデッキの調子が悪くなってそのお詫びと説明をしたりもしました。
(「CDも緊張したんだ」という子どもの言葉が可愛かった^^)


肌と心が、燃え尽きた一日でした。


小規模校は人が少ないので仕事が多いです。
でもそれだけやりがいもあります。
仕事を早く覚えたければ、小規模校スタートがよいと思います。
しかし、小規模校には余裕がなく(出張や会議などでよく人が抜ける、空いている職員がいない、など)、なかなか受け入れにくい現状もあります。

難しいもんです。


(余談)
え? じゃあなんでこのブログはやっていられるんだって?
考えがまとまるのと、初心に返れるのと、何よりセラピーになってるんですよね。
一年目より今の方が楽しいです。

(余談2)
漫画「ブラックジャック」のあるエピソード。
http://www.asahi-net.or.jp/~an4s-okd/private/bun/man0150302.htm#c
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運動会の練習

2007/09/16 19:23
 どの学校でも同じだと思いますが、運動会の練習で忙しい毎日を送っています。
 今年の我がクラスの表現運動は”純和風”です。
 衣装もバリバリ和風で行きます。

 少しだけご紹介しましょう。
 まずは、不織布という紙みたいな布でできたはっぴです。

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 次にたすき。リボンの輪っかのところに両腕を通します。
 (「長さ」のときの鉛筆も映っていますね)

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 うちは小規模校なので、表現は1・2年合同です。
 肝心の踊りの完成度は・・・85%といったところでしょうか。
 金曜日に練習をビデオに撮りました。まず1年生が踊り、次に2年生が踊ったのですが、やはり一日の長があり、2年生の方が上手でした。体が大きくて見栄えがするのもあります。

 今日、久しぶりに母親に会ったので、練習の録画ビデオを見てもらいました。
 1年生の踊りを見てから、2年生のある児童を見て一言。


「この子、踊れへんのやね。さっきの1年生とよく似てる」


 何気ない一言でしたが、私ははっとしました。
 その児童、なかなか踊りがうまくできず、フラフラと勝手なことをしては、私が注意することもしばしばでした。
 踊りに限らず、動作が緩慢な上に、人の話を聴かず、他の子につまらないちょっかいを出してばかりしているような子でした。「できてもいないのに勝手に遊ぶ」子です。

 成長には個人差がありますから、彼の場合、他の子よりも発達のペースが遅いのかもしれません。
 能力的にはそう劣っていないと思うのですが、やる気がないと何をするにも時間がかかります。
 ごく最近も私は「漢字テストなんかしないでいい。1時間かかってもいいから予定をきちんと書け。その方が大事だ」と指導したことがあります。


「本人は踊っているつもりなんだと思う。
もし彼を一年生の中に入れても目立たない。
二年生では周りがみんなできるし、できてないことを家でも学校でも叱られるから、人に悪さでもしていないとやってられない」



うーん…と、考え込んでしまいました。
彼の行動、見ている人は(親であれ教師であれ他の児童であれ)、不真面目と映ることでしょう。
では私は、彼のよさを認められているだろうか。よい方向へと導けているだろうか。


「彼を指導するなら、できることを一つでも見つけて認める。
悪さをしていないとき、それを(当たり前と思わずに)褒める。
できないことがたくさんあっても、そのうちできそうなことを一つ絞って言う。
いっぺんに何もかもできるわけがない」



簡単なようで深い言葉だと思いました。
これは指導でもありますが、その子が伸びるための「環境設定」でもあると思いました。
安心できる環境を与えることで、伸ばそうとしているのではないかと…違うかな?
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学力テストの話(算数)

2007/08/27 11:05
以前に私が学力テストについて、どんぐり掲示板に書き込んだ内容です。

>ゆとり批判、詰め込み回帰となるかと心配したのですが、
>Aは易しいし、Bが教科の壁を越えて読解力を求めています。
>(暗算主義もありますが)
>形は違えど、どんぐりの文章問題のように考えさせられる
>問題なので、考える力の育成へとシフトするのかな、なん
>て淡い期待を持ってしまいました。
>学力低下論をかわしながら、活用する力を伸ばそうとアピ
>ールしたいのかな。
>77億の価値があるとは思えませんが、問題としてはそう
>悪くなかった、という印象です。


このときはそう思ったのですが、よく考えるとやっぱり問題にもいくつか疑問はありますね。
順を追って説明します。
今年の学力テストの小6の算数B(活用)をご参照ください。

1.選択問題の話

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純粋に好みの問題になりますが、いかにも受験用テクニックという印象を受けます。
確かに授業でも、

・複数のやり方を紹介する
・人の書いた式の意味を考えさせる
・よくある誤答例を紹介する

といったことは行っています。
が、それはあくまで授業だからであって、テストは好きなやり方で解けばいいと思うんですがね(暗算のように間違いやすいやり方はオススメしませんが)。

つまり、「参考はいいけれど、式は自分で書くもの」というのが私の主張です。
解き方が分かった子を、さらに答え方で惑わせる意味が分かりません(そこまで大げさな話でもありませんが^^;)。


2.「わけを書きましょう」問題の話

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>2人のめあてを求める式は,50 m走の記録が同じだから,
>身長÷2 だけで比べればよい。2人の身長を比べると,
>よしおさんのほうが高いからめあても高くなることがわかる。


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>東公園の面積は100 × 110=11000 で,11000 m2 になる。
>中央公園の面積は70 × 150=10500 で,10500 m2 になる。
>だから,東公園のほうが面積が広い。


この解答例を見ても思うのですが、こうやって言葉と式で簡潔かつ理路整然と説明できなきゃダメなんでしょうか。
授業では、言葉や式での説明が苦手でも、絵図がしっかり描けていればそれを使って説明できる子もいると思うんです(絵図で答えたらどう採点されるのかな)。

また、(前回のことと関連しますが)説明できなくても本人が納得できていればよいという考え方もあると思うのですが。
よくも悪くも、政府はスラスラと説明できることを児童に求めているのでしょうね。

個人的には絵図が描ければ(思考がきちんとできていれば)、「口下手、大いに結構」と思っています。
(プレゼンやら面接やら、義務教育以後の話は別ですよ。「表現力は最後」)


3.暗算主義の話

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はじめに、二人の子が25×12を筆算を用いずに答えを出してみせます。
それでは、「25×32はどうやって工夫すればよいか、言葉や式で書きなさい」というのが問題です。

趣旨を読むと、「計算の工夫をよみとり、それを用いて異なる数値の問題の解決方法を説明することができるかどうかをみる」とのこと。

なんで工夫を強制されねばならないんでしょうね。
この一問だけの話なら、「こんなやり方があるよ」「へー」ですむのでいいのですが、明らかに「筆算だけ出来てもダメ。暗算でできるものは暗算でする」という方向へシフトしたがっているのが分かります。

ではそれで、計算が間違ってもいいのでしょうか。
ひねった文章題ならば「できてもできなくてもよい」もアリですが、四則計算は確実にできねばならないものでしょう。

もちろん「私は暗算でも絶対間違いません」という子は暗算でやればよろしい。
でも、そうでない子に「さてこの計算は暗算でできるか。あ、できそうだから暗算(できそうにないから筆算)」なんて考えさせるのは正直言って時間と労力の無駄でしかないです。
まして、不安定な暗算で答えを出して間違ってしまうなど、言語道断です。「筆算で確実にやればよかった…」と後悔することになります。

二年生も二学期しょっぱなに暗算単元があるのですが、その単元の間だけ暗算可能な式を並べて暗算を使うことに何の意味があるのか、はなはだ疑問です。



このように、学力テストは「活用力」「思考力」に着目した点は評価できるが、問題形式には改善の余地があるのではないか、というのが私の最終的な意見です。


(余談)
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>□3の(2)
>1983 年(昭和58 年)から2003年(平成15年)までに,全体の数がどのように変わってきたかを書きましょう。


>(解答例)
>全体の数は,
「減ってきた」

…(゜д゜)
……深読みしすぎました(^^;)。
「この時期はたくさん(約何人)減って、この時期は少しだけ(約何人)減って」のような解答を考えていました。
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評価のこと−2 (でも、絶対評価は絶対?)

2007/08/26 19:41
前回の続きです。
「絶対評価は児童理解の手だての一つであり、評価項目を児童や保護者と共有化することには意味がある」という趣旨でした。
今回は、絶対評価を使うときの留意点を書きたいと思います。


1.客観性の限界

「同じ子でも転校すると全く違う評価になる」

現実だと思います。
「そもそもクラスや教師の合う合わんでその子の行動が変わってくるだろ」(先生がキライで発表したがらないとかその逆とか)という話は一旦置きます^^;

実際、まったく同じ行動をしても評価者によって評価が違います。
なぜか。
ルーブリックが統一されていないんですよね。
一応、「教師集団で多面的にとらえましょう」「同一市町村内では判断基準をそろえましょう」とは言われていますが、現状は困難です。

我々には統一された学習指導要領もあるし、評価規準の指標もありますが、ルーブリックに落とし込むのは個人の解釈が入ってきます。
例えば、「身近に経験した事から話題を選んで話そうとしている」という規準をどうやって評価しましょう。
回数? 時間? 内容? 話し方? 話しているときの表情? 自発性?

どれを選んでも「ほぼ正しく」評価されるとは思います。が、絶対評価と言えど客観性には限界があることは知っておかねばならないですね。


2.ルーブリックは得点ゲーム?

ルーブリックのABC評価を分ける基準は多くが具体的な数字です。
確かに分かりやすいし、個人的な感情に左右されずに評価できるような気がしますね。
うちの市町村で作成した算数科のルーブリック例(小2図形:三角形や四角形など)では、「関心意欲態度」の評価基準はこうでした。

「挙手・発言回数」
「身の周りで見つけた三角形・四角形の数」
「(自分から)作成した図形の数」

子どもは評価されることに応えようとします。
これでは子どもは「手を挙げて何か言えばいいんだ」「とにかく数をこなせ」とならないか。
逆に言えば、「数をこなせない」子の評価はこなす子よりも低くなるわけです。心の中でどれだけやる気があっても、です。

この時期の図形領域は「お絵かき」「パズル遊び」のようなものですが、一つの図形をじっくり楽しみながら完成させる、ワクワクしながらパズルを動かす、ああでもないこうでもないとノートに線を走らせる…私はそういうのを「関心意欲態度」と呼びたいのです。

要は「楽しんでいるかどうか」。
楽しみと数は関連することもあるでしょうが、数だけで判断できるとは思いません。
糸山先生風に言えば、「できる(上手な・得意な)ことと好きなこととは違う」のです。


3.「できた=分かった」?

同様にルーブリック例では「知識理解」の評価方法はこれでした。

「問題の正答数」

どんぐり倶楽部の方にはよくお分かりだと思いますが、子どもたちは分かってないのに正解してしまうことがあります。
「1000-1はいくつ?」は簡単にできるけれど、「1000より1小さい数はいくつ?」と聞かれると分からない子、等。
「何聞かれてるのか分からんかったけど、適当に数字をいじくったらできた」ということはありうると思います。
(私見ですが、「知識理解」と↓の「数学的な考え方」は不可分なものだと思っています)


4.「分かった=説明できる」?

同じく、「数学的な考え方」はこれです。

「作成手順や図形の特徴を言葉で書く(理由も書けたらA、など)」

教育大附属の小学校などに行くと、1年生あたりからこういう活動に力入れてますよね(くりあがりやくりさがりの手順をノートに言葉で書かせるなど)。私も以前から「本当に分かったのなら説明できるはずだ」「算数語を使って説明することが大事だ」と思っていました。
そこである時、どんぐり掲示板で糸山先生にこのように質問しました。

>子どもは「なんで足したの?」「なんで引いたの?」と問われた場合、答えられなくてもよいとお考えですか? 私はやはり、説明できてこそ真の意味理解と思えてしまうのですが…

お答えはこちらでした。

>この場合の説明とは相手の求めている表現形式で相手を納得させることですね。幼児・児童期には全く不要です。自分で納得できていればいいからです。

糸山先生のおっしゃるように「全く不要」なのか、それとも「説明する力をつけることはそれはそれで必要」なのか、まだ判断がつきません。
味わいのない表現力は無意味ではあるのですが、表現によって理解が深まることもあるのではないか…などと。

ただし、「分かってるけど言葉で書くのは苦手」という子もいることは頭に入れておこうと思います。


5.「評価」だけで「評価」しないで

ルーブリックは評価を助けてくれると思いますし、指導に活かせる部分も多いと思います。
しかし、ルーブリックだけで子どもの学力をすべて分かった気になってはいけないかな、とも思います。
つまるところ、これもまた一つの見方でしかありません。

再び糸山先生の言葉を借ります。

>認めるとは「見・止める」。否定の言葉でも「良く見た」後であれば認めていることになります。否定も含めた子供全体の肯定です。

>見てあげることは納得させることになります。満足させることにもなります。見てもらっているだけで満足するのです。見ていなくて結果だけ見て「凄い」といってもダメなのです。


ノートやワークシート、ルーブリックも大事だけれど、リアルタイムで子どもの目を見ることも忘れないようにしたいです。
子どもの成長にとって重要なことです。

>評価になれてしまうと、評価する人がいなくなったら何も出来ないし、する気にもならなくなります。

>管理下で成績がいいということは何の意味もありません。管理下にないときにどう動くかが大事なのです。教育とは一人になったときに自分が動く価値基準を明確にもてる力を養うことです。


最終的には「与えられた評価基準」でなく、自らの基準で自分を評価し、課題を課す自律的な人間にしていかねばならないのですね。
何でもかんでも「これが大事(できなければ問題)」と枠にはめ込みすぎては別の問題も出てきそうですね。
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評価のこと−1 (情報共有は大事)

2007/08/25 12:02
なぜ我々は子どもを評価するのでしょうか。
端的に言えば「児童理解」です。学力の実態把握ですね。
そこから以下につなげます。

1.教師:指導の軌道修正
2.児童:自己目標の設定
3.保護者:家庭学習の軌道修正

その考え方をもとに、近頃盛んに「絶対評価」と言われています。
もともとは、「上位何人がA」「下位何人がC」といった「相対評価」に対比して出てきた評価で、「目標準拠型評価」とも呼ばれます。
また、「公開評価」という側面もあります。
なんとなくややこしい言い方ですが、要は

「これができればOK」
「これで成績つけるからね」

と先に教えておくわけです。


さて、実際にはどんな形で使われるのでしょうか。
教師は↓のようなABC評価表(ルーブリックと言います)で目標を設定し、評価基準を公開します。
公開相手は児童・保護者・他の教師・他校など、平たく言えば誰にでも。
ただし児童については事前公開が原則ですね。
評価基準を黙って授業をすることを我々の業界では「だまし討ち」と呼んでいます^^;

画像

かけ算のルーブリックの例


このように評価基準を公開してから授業をし、終わった時にはどの子もABCのどれかのお部屋にそれぞれ入っていくわけですね。

授業ごとに「できるできない」が、教師も子どもも保護者も分かる

というのが「絶対評価」の最大の特徴であるわけです。
出来高のABCが、ハッキリ分かるので…

教師 「次の授業、この部分に注意して行おう」
子ども 「ここ苦手。ちゃんとやらな。次はAめざそ」
保護者 「おうちでこの部分一緒にやろう」

といった効果を狙っているわけですね。
こうした情報共有は、私も賛成です。
児童の立場に立って考えても、評価項目を知らないまま勝手に評価されるのはかないませんよ。
なのですが…続きます。

(参考)
ルーブリックとは
http://www.justsystem.co.jp/school/academy/hint/rubric/ru01_01.html
私たちはなぜルーブリックに取り組むのか
http://www.justsystem.co.jp/school/academy/hint/rubric/ru02_01.html
新しい評価Q&A
http://www.shinko-keirin.co.jp/csken/pdf/51_08.pdf
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