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zoom RSS 知識・技能主義への挑戦(算数編)

<<   作成日時 : 2008/08/19 15:17   >>

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これからの時代、受身ではいけません。
黙って座っていれば45分安全に過ごせるような授業は子どもの自主性を摘んでしまう。
やっぱり授業はハラハラドキドキ!

そのために学級開きの時が大事。
まず、分からないものは「分かりません」と言えるクラスじゃなきゃ。
(児童のペースを無視して教師のペースを優先させるのもいけませんね)

ただ、先生がすべての児童を助けることはできないのも事実。
だからこそ、児童は自分を助ける方法を身に着けねばいけません。

それが前回挙げた

・ノートを見る
・教科書を見る
・プリントを見る
・黒板を見る
・問題文を読み直す
・数字や言葉を簡単にする
・絵図を描く


などですね。
「ヒントもなくさせるなんて!」ではなく、ヒントは自分で探すんです。
公式も指もおはじきも、使いたいときに自分の判断で使っていいんです。
もちろん、難しい問題もありますね。例えば以下の問題。

「0.8mの値段が240円のリボンがあります。1mのときいくらですか」

どんぐりキッズなら、絵を描いて、絵を見ながら考えます。

画像


きっと0.1mずつにバラしたものを10倍にするでしょう。
つまり240÷8=30円 30×10=300円です。これはこれで正解。分かりやすいね!

しかし教科書には、それとは別に「240÷0.8」の解き方。
0.8で割る、と考えると混乱しますね。
こんなときは問題をアレンジ!

「□mの値段が240円のリボンがあります。1mのときいくらですか」

「この□mが何mだと簡単になるかな?」
「1m!」
「そうだね、それだといくら? この列、聞いていきます」
「240…」
「(ややぶっきらぼうにまねして)240…」
「あっ、240円です」
「いい答え方だね。単位つけて、「です」も言えたしね」(←指導1)
「240円です」「240円です」「240円です」
「みんな先生のお話よく聴いてくれてうれしいな」(評価)

(板書)

「さて、1m以外だと?」
「2mです」
「そのとき1mはいくら? この列聞くね」
「120円です」「120円です」
「(最後から二番目の子に)どうして?」
「えっ。だってね、2mが1mになるから、240÷2だから」
「そうだね。式も一緒に言ってくれてうれしいなぁ。よく分かる」(←指導2)
「240÷2で、120円です」
「式、バッチリだね」(評価)

(板書)

「じゃあ、1・2m以外だと?」
「3mです」
「1mはいくら? 今度はこの列」
「240÷3だから80円です」「240÷3だから80円です」「240÷3だから80円です」
「なんで3で割るの? 理由言える?」(←指導3)
「3mのものを1mに分けるから」
「ちゃんと言えたね」(評価)

(板書)
画像


「これ見て、何か気づく?」
「240を何mかで割ると、答えが出る」
「240円を□mの□で割ると、1mあたりの値段が分かるんだね。
240を1で割っても240円だよね(板書)
ではこんど0.8mにします。やってみましょう」


(作業・発表・まとめ)

「小数でもわり算をすれば、1あたり量が分かります。困ったときは数字を簡単な数に変えてみてね」

困ったときの対処法

・黒板を見る
・数字や言葉を簡単にする


でした。
(これも余談ですが、「評価する」とは「成績をつける」だけでなく「認める・ほめる」という意味もありますね。私はむしろ後者の方が大事だと思っています)

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。TOTOROと言います。少しブログを見せていただきました。

さて

A子どもが延々と考えている姿を「無駄な時間が過ぎている」と捉えるのは私には少々傲慢に思えます。
私は解決方法を探すことも含めて「子どもの努力」だと思っていますので、延々と考える姿を無駄とは思いません(時間が長すぎてはよくないですが)。これについては名前欄リンクをご参照ください。

この説明が、少し言葉が足りませんでした。少し付け加えます。

考えるという意味を調べてみます。

いくつかの辞書を調べると次のように載っています。 
・実情を調べただす あれこれと思量し、ことを明らかにする。
・ある物事や事柄についてあれこれと頭を働かせる。
・筋道を立てて問題や疑問を解決しようとする。
・いくつかの物事をひきくらべて調べる。
・物ごとを、筋道たてて思いはかる。
・経験や知識を基にして、未知の事柄を解決(予測)しようとして、頭を働かせる。

TOTORO
2008/08/21 10:37
インターネットでも調べてみると
・何かを変える手段とか方法を頭の中で考えることです。
・「思う」ことに知識は不要だが、「考える」には知識が必要。
・言語を用いて、意識的に、論理的・合理的プロセスを踏んで行われる操作である。

などがヒットしました。

つまり
これらを合わせてみると、考えるということは、既習の事項を組み合わせて、いくつかの方法を予想する。(例えばAとBとC)そして、Aだろうか?Bがいいのだろうか、それともCだろうかと比べてみる。Aを選択すると多分こうなるだろう。Bを選んだらこんないいことと悪いことがあるだろう、Cにはこんなメリットとデメリットがあるだろう、と推論・論証する。その結果、ここではBが一番いいだろうと結論づける。そんな営みが考えるという意味なのだと思います。

TOTORO2
2008/08/21 10:38
すると、子どもに「考える」という行為を成立させるためは、
@考える基になる既習事項が身についている。
AAとBとCかと言ったような、およその答えの見当が見える力がある。
BAとBとCかと言ったような見当を論証する手だてをもっている。
などが必要となります。これらが、あるかないかを見取らず、教師の思いこみで授業を進めると、無駄な時間になると思います。

また、見とれているのなら、おそらくできない子に対して支援策策をもって授業に臨まなければならないと考えます。

おそらく、先生はそれをされた上で、子どもにじっくり考えさせているのだと思います。それならば、全く問題がないと思います。
例えば、図を書いて、図に書き込みをしていけば答えが見えてくるとか、0.1を基にして考えるとか、話し合うとか、板書を使うとか........
TOTORO3
2008/08/21 10:38
>TOTOROさん
多忙につき、レスが遅くなって申し訳ありません。
ご意見、大変興味深く読ませていただきました。
「支援策を持たずに」という言葉が前置きされるならば異論ありません。

ただ、ちょっと言葉が難しくて理解不足なところもあります。
分かる範囲でレスします。すみません。

>@考える基になる既習事項が身についている。

私は「考える基」とは、「既習事項」も含めた「日常体験」であると考えます。

たし算を知らない幼稚園の子は式は書けません。でも答えは出します。
わり算を知らない小2の子も答えやあまりをちゃんと答えます。

彼らは算数の専門用語は未習ですが、問題文のイメージを持っていた。
さらに、いろんな遊びの中で、あつめたり、バラしたりする体験をしていた。だから解けた。

「既習事項」も体験に裏づけされたイメージがあってこそだと思うのです。

あと、「見当」や「論証する手立て」についてはよく分かりませんでした。
とびうお
2008/09/03 23:34

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